SNSと「いいね」を考える

SNSの登場は、世界・社会の様相を一変させた。巨大な動きを創り出す程に力をもつSNS。だが、それを操作する人間には大きな「落とし穴」があるように思えてならない。その「落とし穴」を考える。

2004年に設立された「フェイスブック」、2007年から始まった「ツイッター」(エヴァン・ウィリアムズとクリストファー・アイザック・ストーンが2007年4月に設立した「ツイッター社」を起点と考えて)。同じ頃、アップル社がiPhoneを発表する。

これらの世界的普及が社会を大きく変えた代表例として、チュニジアの露天商の青年が独裁政権に抗議して焼身自殺したことを契機に民主化を求める世論が一気に広がり、独裁政権を打倒した「ジャスミン革命」がある。この運動は国境を超えた。「アラブの春」をもたらしたのである。

限られた字数の中で、情報は瞬時に拡散し、それを見た他人がまた「いいね」と反応し、情報が拡散していく。劇場型の政治がそこに介入した時、「情報」が単純化して伝達されることをわれわれはみてきた。例えば「郵政民営化イエスかノーか」「前進にイエスかノーか」等々。

危惧するのは、われわれの判断力がそこに追いついているかどうかだ。じっくり考え、多様な選択肢がありえるにも関わらず「イエスかノーか」として単純化されることで、われわれの思考回路も単純化することをなによりも恐れるのだ。

じっくり考えて、物事の背後にある真実により謙虚になって眼を向けたいと考える日々である。