80年目の8月15日に思う─想像力の大切さ
80年目の8月15日を迎えた。現代日本社会を取り巻く状況を「新たな戦前」と言うようになって久しい。この地上から戦火は収束を見せることなく、逆に広がりすら見せている。連日のガザでの人道的危機やウクライナでの戦争報道は被災者たちの現実の目を覆うばかりの状況を伝えている。
「日本国憲法など無力だ」「憲法九条はこの国を守れるのか」という声も聴こえてくる。しかし戦後80年の経過の中で、日本は一度も戦争を体験することなくこの日を迎えることができた。それはなによりも9条をもつ日本国憲法の下で平和の努力を積み重ねてきた国民の努力の賜物であると思う。
9日の長崎の平和祈念式典では「長崎を最後の被爆地に」という祈りの声が発せられた。「核兵器による犠牲者が長崎が最後であってほしい」という祈りは本当に大切だと思う。しかし残念ながら、核の犠牲は長崎が最後ではなかった。残念ながら、第五福竜丸・チェルノブィリ・福島第一での原発事故などがあった。しかし戦争行為による核兵器の被害者は、今のところ長崎が最後である。そうあり続けてほしいと思う。被爆者の高齢化に伴い、被爆体験の風化が危惧されている。「戦争を体験していないからわからない」という声も若者から聴く。
だが、この世の中から被爆体験者が少数になっていくことはよいことである。なぜならば体験者が少なくなるということは核兵器の犠牲者が年々少なくなるということで、新たな犠牲者が出ていないということだからである。そのことと「被爆体験の風化」は別問題である。新たな犠牲者を生み出すことなく、いやそのためにこそ被爆体験を継承することは大切である。「経験していないからわからない」というのは責任逃れである。言うまでもなく「経験」はその主体の殲滅を意味するからだ。「経験」したら終わりなのである。「経験」することなく「継承」することが大切なのである。
私は、「平和のために行動すること」は確かに重要なことだと思うが、まずその第一歩として「想像すること」だと思う(8月6日のこのブログにも書いた)。「行動」はできなくとも「想像」は誰にでもできる。ガザやウクライナなどの戦争被災地でなにが起こっているか、まずは「想像」することではないか。ジョン・レノンの「イマジン」を持ち出すまでもなく「想像」は「連帯」を生み出す。
「継承」と「想像」を考える時、やはり教育は重要である。「想像力豊かな子どもたちを育てているか」「先代たちが不幸にして経験した戦争体験をしっかり継承する教育ができているか」・80年目の8月15日にあたって日本の大人たちがもう一度振り返って考えてみなければならないテーマだと思う。
」