昭和100年・治安維持法制定100年の検証を

2025年が戦後80年であり、同時に被爆80年の節目の年であることは、マスコミでもかなり喧伝されている。それと比べて、今年・2025年が同じく昭和100年、治安維持法成立100周年であることはあまり言われていない。節目の年である今年が残り4ヶ月となった今、昭和100年・治安維持成立100年であることに焦点を当て、歴史から学ぶ必要があると思う。単に節目という意味だけではなく、今の時代にとって大きな意味をもつと考えるからだ。

昭和100年でいえば、前半20年は戦争に向かい戦争に突入した年月であった。治安維持法は、昭和初年に成立し、この国が戦争に向かう上で決定的といえる程に大きな役割を果たした。天皇・政治指導者・軍部がこの国を戦争へと主導し、熱狂的にその動向を歓迎した国民の責任の重大さを再認識すべきである。国民が熱狂的に戦争を支持した上で、治安維持法が果たした役割は決定的に大きい。歴史に学ぶ意味を考える時、治安維持法の総括が不可欠である。国民をミスリードしないために、言論の自由・思想信条の自由・表現の自由・学問の自由は不可欠である。治安維持法はこれらを根こそぎ奪ってきた事実を今再確認すべきだ。

1945(昭和20)年に、敗戦を迎え、日本軍国主義は敗れた。そしてその年に治安維持法は廃止された。その後80年、幸いにもこの国は戦禍を受けることなく過ごすことができた。「戦争体験者が少なくなって戦争体験が風化してきた」と乱暴に言われるが、「戦争体験者が少ない」ことは歓迎すべき事実である。そのことと「体験の風化」は別問題だ。今や国民の一部となった人々の戦争体験を「国民的経験」として継承していくことは、社会の、とりわけ教育の課題なのだ。

私は、国民の戦争体験が戦争忌避に結実したからこそ戦後が80年続いたと思っている。「その結晶は日本国憲法第九条である」と考えている。だから「戦後が戦後であり続ける」ためには日本国憲法第九条が必要なのである。この戦後を、次の新しい戦争の戦前にしてはならない。治安維持法とは何だったのか、治安維持法によって奪われたものは何だったのか、今年こそ、その総括と再確認が必要だと考える。それが昭和100年という節目の年に歴史から学ぶことだと思っている。