映画「プラハの春」をみる

再び映画の紹介と感想である。

1967年の早春から、プラハでは市民による自由を求める動きが少しずつ始まりをみせていた。やがてその機運は国中に広がり、共産党ドゥプチェク第一書記の下、「検閲の廃止」「言論の自由」が認められ、「プラハの春」が訪れたと思った矢先の1968年8月20日、ソ連が東欧諸国の軍隊を率いてチェコスロバキアに武力侵攻する。最大の報道機関であるラジオ局の占拠を目指すソ連軍と、権力と戦車に立ち向かうラジオ局の報道局員たちの攻防を描いた映画である。軍隊の主軸である戦車に対し、市民は言葉で立ち向かっていく。

私は映画をみながら、故加藤周一氏の余りに有名な論文「言葉と戦車」を思いおこしていた。「1967年の早春から、チェコスロバキアでは言論の自由を求めて知識人の動きが活発になりはじめていた。(中略)言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人の声となっても、一台の戦車さえ破壊することはできない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。(中略)1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。」加藤先生がこの論文を書いたのは、事件直後・なんと1968年9月のことである!!。「新たな戦前」が言われ、軍事力の増強が叫ばれている今日の日本で、この映画もまた必見である。我々は今日の日本政府が採っている軍事力増強政策に対して、いまや圧倒的な言葉で対峙すべきなのであろう。そのことを考えると、今の日本の中において、故加藤周一氏の論文も再読する価値があると思う。