テキスト第二章と学生諸君が提起した論点

今回の第二章では、この事件をどうみるかという点で、横山さん・藤井さん・福島さんという三人の障がい者がそれぞれ意見を表明しています。
横山さんは、「障がい者への差別・偏見は誰にでもある」と言い、私たちを驚かせます。さらに、施設の問題・親の意識の問題・優生思想の問題と提起しています。施設の問題とは何か。
確かに、やまゆり園とは「都会から離れた山奥に障がい者たちを隔離していた施設」といえます。障がい者たちを無意識的に社会から切り離した存在にしていたのです。そうした社会の対応が、知らぬ間に障がい者の家族を精神的に追い込んで言ったというべきでしょう。匿名性の問題とはその中から表面化してきたのではないでしょうか。
福島さんの言う「二重の殺人」ですが、福島さんは「生物学的殺人」と「実存的殺人」(27ページ)に整理していますが、あるいは、植松による生物的な殺人と、社会による匿名報道という行為による殺人、ともいえるかもしれません。被害者は、事件で殺され、事件後の報道でも存在を否定されました。
優生思想も大きなテーマでした。障がい者「安楽死」計画がナチスドイツによって計画され、実行されたことが最後に書かれています。これは第三章以降の主要なテーマですが、多くの医者が関与したことは確認しなければなりません。
かくして、テキストは第三章以降で、優生思想へと向き合おうと進んでいきます。

ここで、今回の第二章の学生諸君の論点をみておきましょう。
先ず最初の論点である匿名性についてです。この問題は、この章の中心テーマでもありますから志賀さん・高橋さん・坪井さん・星野さんが言及していました。匿名性の最も本質的な問題は「その人が生きてきた証」を否定することです。志賀さんの言うように、匿名を希望する被害者の存在をどう考えるかは大きい問題です。先にも書いたように、被害者たちは、植松死刑囚によって殺害され、その後の匿名報道によって存在を否定されたのですから。
ここで、星野さんは「京アニ放火事件」との対比で匿名性を問題にしています。これは面白く分かり易い例だと思いました。一方で、馬場さんは「障がいをもっているから匿名だとした」というとらえ方に疑問を提示しています。確かに障がいはなくとも匿名ということはありえますよね。
「匿名性」以外の論点を整理します。
渡邉さんは、ナチスドイツの障がい者「安楽死」計画に多くの医者が関与していた事実に驚き、かつ多くの人々がそうした政策を支持していた事実を指摘します。これは第三章以降の大きなテーマです。そこでまた論じたいと思います。
次に高橋さんは、横山氏が「被害者にいてほしくなかった」としたのに対し、それも愛だったのではないかと批判します。他のみなさんはどう思いますか?
坪井さんと名倉さんは自分自身を問題にします。坪井さんはゼミで取り上げる前まで自分にとってやまゆり園事件は「過去の事件だった」こと。名倉さんは「冷酷な社会」の中で「私たちの当事者意識の欠如」を指摘します。これも意見交換したい論点です。
関連しますが、磯崎さんは健常者と障がい者の交流と情報共有のあり方を問題にしています。
私たちは本当に共生社会が作れるのでしょうか。みなさんどう思いますか?
阿部さんがは、「優生思想」は非障がい者から障がい者へというのではなく、その逆、つまり「下からの優生思想」言い換えると障がい者自身がとらわれる優生思想もあると捉えています。私はなるほどと思い読みました。
以上、簡単ですが、第二章の論点とみなさんの意見を整理しました。
第三章以降は、優生思想がテーマとなります。
ここで、少しテキストから距離をおいて、第一章・第二章を読み、それぞれが意見表明しましたので、今度はみなさんが他の人の意見をどう読んだのか意見交換したいと思います。
「○○さんの言っていることがよく理解できない」「○○さんの意見に改めて気が付いた」などなんでも結構です。少し突っ込んだ意見交換ができればと思います。
5月16日までに意見をアップして下さい。
期待しています。

○今後の予定を書いておきます。
5月16日までに全員が全員を読んでの意見交換のアップ
5月25日までに第三章のアップ、6月1日まで第四章のアップ、とすすめます。