ゼミの皆さんの感想、意見を読んで。 阿部恵大

ゼミの皆さんの感想を読んで、考えたことをいくつか述べたい。磯崎さんの「精神障害や知的障害の運動と言って思いつくものは特にない」という意見について、確かに私も障害者の運動と言われてもいまいちピンとこない。私も含め多くの健常者が障害者のことを知らないのではないか、いや、それどころか知ろうともしていないのではないかと考えた。星野さんが障碍者同士で支えあっていることを知り「自分の知らない彼らの一面を知ることで、違った見方や考え方を得られると考えている。」と述べているように。私たち健常者は「可哀想」とか「残酷である」など、そういったその場ばかりの感想だけを述べるだけで。それ以上に踏み込もうとしていないのではないかと考えた。

殺人事件が起きた事件現場でまだ生活している障害者がいて、それを厚労省が容認していることについて、「健常者と障害者を区別し、健常者の都合に合わせた社会運動がなされている」という坪井さんの意見に対して、私は納得いかなかった。確かに倫理的に考えれば、人が殺された場所で生活するのは酷なことであるし、それを認めるというのはおかしいように思えるが、しかし深く考えると、そうする理由があるのではないかと私は考えた。考えた結果出たのが、障害者の方々の生活において慣れた空間で過ごしたほうが本人たちにとって幸せなのではないかという可能性である。本人たちが気にしていないのであれば、わざわざ「ここは人が殺害されたからやばいよ」というようにそこに住んでいる障害者の方々に伝えるよりも。心に負担がないのであったならば、生活のしやすい空間で過ごしたほうが幸せかもしれない。というように考えたかもしれない。あくまで一つの可能性の例に過ぎないが、相模原事件という大きな事件が起きているのにも関わらず、厚労省が何も考えずに健常者の都合を優先するようには思えない。

高橋さんが障害者の匿名に対し、単に愛なのではないかという意見に私は賛成である。私も匿名にしているのは障害者が邪魔だからということではなく、静かに眠らせてあげてほしいという願いからされているのではないかと考えた。全員がそういう思いで匿名しているとは限らないし。おそらくそうでない人もいる。けれど、誰にでも邪魔だという意識があるという横山さんの意見は賛成できないと改めて考えた。

どの意見にも共通して言えるのはやはり、お互いにお互いを知らなすぎると言うことである。相手を知らずに自分から見えているものだけを物差しにしているのではないだろうか。