皆さんの考えに対する感想 星野凌摩
最初に第1章の感想をあげた阿部さんは、この事件を優生思想やヘイトクライムにカテゴライズして終わり、ではなくそのさらに奥底にある得体の知れない何かを気にかけていた。ある目的の基で優生思想が働かざるを得なかったのではないか、という考え方が自分には全くなく、かつ最初に出てきた感想だったため、意見の多様性に驚かされた。1つ気になることがあるとすれば、大人数の人間を殺害することが、植松被告にとってどんな利益と対等の価値を生んだのか、さらにいえばなぜ障がい者でなければならなかったのかなど、その利益についての考えも知ってみたいと思った。
このように頭ごなしにこの事件と植松被告を批判するのではなく、少し画角を引いて本質を見極めようとする姿勢や考え方は、皆の感想を読んで全員にあると思った。特に、名倉さんと高橋さんの言及した「普遍的正義」については、自分があまり目を向けなかったところで、興味深いものだった。正義とは恐ろしい言葉である。その人が「これは正しい」と思ってしまえば、それはナイフとなりその人の武器となる。最近の話でいえば、自粛ムードの中でも営業している店に「店を閉めないと警察を呼ぶ」という旨の手紙を送る人がいたり、県外ナンバーの車が道を走っていたらあおり運転を始める人がいたりする。あおり運転は今や立派な犯罪で、上記の内容の手紙を送り付けるのも脅迫罪と捉えられかねない。にもかかわらず、こういった事例は後を絶たない。それは、その人たちにとっては、それが自分の正義であるからだ。もちろん自分なりの正義を持つことは、決して悪いことではない。しかし、「良いことをしよう」と思い立った時、自分を強く感じてしまい、その威勢で周りを説得しようとする。この人たちにとっては、脅迫じみた手紙を送ること、あおり運転をすることが、「良いこと」をしている認識であるのだと考える。同様に、植松被告にとって「障がい者を殺害する」ことは国のためであると、よかれと思ってやっている。その揺るがない正義を目の当たりにして、一部の人は無意識だった障がい者への偏見が表面化し、この事件を賞賛し始めたのではないかと思う。
全員の意見を見て、自分には無かった視点や切り込み方があり、この事件の本質に対する考察が、少し広がりを持った。そして一様に植松被告に対する考えを断定できないのは、その現場を実際に見ていないことは勿論だが、我々と数十人を殺害する人間の思想がそう簡単に疎通出来ないことも理由であると考えており、他者の考えを知ってその見えない部分を補強していくことは、とても有意義なものだと思った。