第一章、第二章の感想を読んで 坪井翼

第一章 星野君
「この事件がヘイトクライムの側面を持っている時点で、植松被告自身の問題と介護職の労働環境問題とでは切り離して考えなければならないと考えている。」
 私はこの考え方とは違い、この事件は介護職の労働環境問題も絡んでいる事件であると考えている。結果的に植松容疑者は障がい者の存在を、「不幸しか作らないもの」として存在を否定しているが、もし初めからこのような考え方なら、そもそもやまゆり園で働くという選択をしないだろう。ともするなら、少なくとも働き始めの頃は障がい者に対し極端にマイナスな考えは持っていなかったと考えられる。ではなぜマイナスのイメージを持つようになったのか。一番に浮かんでくるのはやはり、やまゆり園での日々が要因であるということである。手紙にも「保護者の疲れ切った表情、職員の疲れ切った瞳」とやまゆり園で見た現実の負の部分が見えている。よって、やまゆり園でのつらい経験の蓄積が容疑者の考えの変化の要因であるということは容易に想像できることである。これは植松容疑者の主観であり、実際どうだったのかがわからないため、憶測の域を出ないが、やまゆり園での生活が植松容疑者の考えに変化を与えたことは間違いないだろう。なので、この事件において、介護職の労働環境問題は完全に切り離すことは出来ないと私は考える。

第一章 高橋君
「ではどうやって私は差別の目も軽蔑の目も持っていないと示せばいいのだろうか。」
これに私は共感し、なるほどと思った。私はこの本を読んでいる中で、視線による障がい者への干渉について考えたことはなかった。確かに、障がい者は健常者と比べるとマイノリティであり、街中で見かけると嫌悪や好奇心など、様々な理由で視線を向ける健常者が多くいる。そして、それらの多くの視線を向けられる障がい者が不快な思いをしながら生活している。これが現状である。視線については私も向けてしまっていることなので、気を付けなければならないと思った。