「親」作文 名倉令
人生の中で、家族に敬愛抱くことは何度あるだろう。親愛は誕生日などの行事や、日常の些細な部分で感じることが多々あるが、敬愛となると意識していても難しいものだ。余りにも近い関係だからこそ、その偉大さに意外と気づかないものだと私は思う。もしくは、恥ずかしさを盾にして見ないふりをしているのかもしれない。こんな突飛なことを考えるようになったのも、最近になってその機会が訪れたからだ。これは授業課された「大学生活の総括」をするために、一参考意見として父親の大学生活を聞いた時の話である。
話を持ち出した時は、日常的にお互い干渉し合わない仲なので、ひどく驚いた顔をされたものだ。初めこそは、余程自分のことを話したくないのかとても怪訝な表情を浮かべていたが、話をしていくうちに、過去を懐かしむかのような柔和な表情にかわり、私が知らない父を語り始めた。父が言うには、大学生時代は親に頼らず、自分で学費を払っていたらしい。さらには授業も手を抜かずしっかり単位を取り、誰もが知る有名企業に就職した。だが親友は愚か、友人すら出来なかったことを話してくれた。父親は自分のことを多く語るような人でなければ、家族の前で弱さを見せるような人でもない。だからこそ、この話はとても新鮮なものだと思えたし、初めて父の弱さが垣間見えたような気がした。父親は最後に、
「お前の学生のあり方としては、目につくものがあるが、親友と呼べる存在がいて羨ましい」と告げた。だけど私からすれば、彼の生き方の方が何倍も、何十倍も眩しいものに思える。孤独を恐れる私には、彼のような生き方は出来ないだろう。だからこそ今、私が彼に抱く感情は親愛ではなく、敬愛なのだと感じた瞬間だった。