「人の言葉を伝える」を読んで 坪井翼
今回の資料を読み、「読む」という行為は私が思っているより高度なことであると考えを改めた。この資料は一度4月の初めの時に読んだためその跡があるのだが、気になったところや筆者の主張となる部分に線を引いてあるだけでそれ以外の痕跡はなかった。これを見て、今の自分は文章を読み切れていないと理解した。私は内容を理解するという読み方しかしていなかったのである。なので、本文に対する疑問や意見が出ず、目を通すことを読むこととしてしまっていたのである。先生の音声を聞いた後、ゆっくり丁寧に読むと、前回よりも気になったところが多くなり、私なりの解釈をして本文を自分の言葉に置き換えて理解しようとすることも増えた。なにより、前よりも読めているような感覚になった。これからはこの読み方をしていこうと思った。
ところで、なぜ私はこのような読み方が定着してしまったのかと考えると、最大の要因は試験のための読み方を長年続けていたためであると私は考えた。塾や学校の先生から教わった問題を解くときの読み方は体が覚えている。そして、普段からこの読み方なので違和感は全くなかった。しかし今回の資料で、この読み方は点数をとれても筆者の考えに意見できるレベルにはなれないと学んだ。
今回の資料は自分の読み方を改めるきっかけになった。今は自宅学習でレポートを書く機会はたくさんあるので、読み方を変えて自分の意見を書き起こせるようになりたいと思う。