「人の言葉を伝える」と先生の講義に対する感想 星野凌摩

掲示された大江健三郎さんの記した一部の文は、ゼミの活動の前準備で配られた中にあり、その時に一度読んではいた。しかし、今回読んだのが二度目だからなのか、ゼミで文を書く活動を数回行ったからなのかは分からないが、改めてハッとさせられる箇所があった。とある文献を読んで自分の考えを述べる、という作業を、今のゼミや去年の基礎演習の中で取り組んできている。そこで私は、本を読んで浮かんできた自分の意見をどのように表現するかを考えるのに手を焼いていたように思う。大江さんの言葉で言うなら、自分の心の中に沸き起こるものを書いていたわけだが、知識を取り込む媒体が紙にしろデジタルにしろ、目で見る・耳で聞くという段階を踏まなければ、そもそも自分の心に沸き起こるものは無いのではないか、と考えた時、大江さんが示す一種のプロセスが如何に重要であるかを理解した。それを踏まえて、反省しなければいけない点がある。最近行った、他のゼミ生が書いた『相模原事件とヘイトクライム』の一章二章の感想に反応する活動で、私は数人の感想に目を向けていたが、肝心の目を向けていた箇所は、「普遍的正義」という一単語のみを拾って、話を広げていたのだ。つまり、その人が全体を通して何を伝えたいのか、ということを理解しようとせず、文中にあった一単語の意味をひたすら吟味するだけに留まっていたのである。それは、他人の意見を綿密に見ず、自分の心の中に沸き起こるものを必死に表現しようとしてしまった結果だと考える。同じような機会は今後何度もあるので、筆者が全体で主張している事を考察して、そこに自分の意見をぶつけて生まれる新しい考え方を発見できるように努力する。