関心のあるテーマを読んで 坪井翼

志賀さん
 確かに虐待というものを考えるときに親の状態というものは欠かせないものである。しかし、私はそれと同様に、親をそうさせてしまった社会状況も考えなければならないと思う。虐待する親が悪ではないということではないが、その親を構成する周りの環境によって追い詰められ、結果として虐待してしまったというケースがほとんどであろう。そういう時に考えるべきものは親を取り巻く環境の改善ではないだろうか。
 だが、今のご時世はプライバシーというものに敏感であり、一介の教師が生徒の家庭にどれだけ干渉できるのかという問題もある。一切の干渉が拒否されてしまうこともあるだろう。そのようなときにどういう支援ができるのかということも志賀さんには考えてみてほしい。

阿部さん
 私は小学校にいたころに比べると中学高校では本を読まなくなった理由の一つとして、進学というもの考え始めたために、本を読まずに勉強するという生徒が増えたということを上げたい。実際、私の高校は進学校で進学クラスに通っていたが、本ではなく参考書や単語帳などの参考書を多くの人は読んでいた。そして、私も同様に参考書を読んでいて、読むとしてもすぐに読み終わる漫画くらいであった。中学高校の三年間は短く、進学を意識すれば二年の夏ごろから意識する人もいる。そのような環境の中で過ごしていれば、自然と本を読む余裕はなくなるのではないだろうか。
 そして、図書館の存在価値を考える際、電子書籍というものも考えるべきであると私は考える。今の時代、紙媒体ではなく電子書籍で済ますという人が増えている。そうなったときに図書館の価値は本を提供するという面においてはなくなってしまうのではないか。私は、図書館は従来の運営のままでは使われなくなってしまうと考える。なので、どうすれば図書館が使われるようになるのかを阿部さんには考えてほしい。

名倉さん
 2014年の時点で896もの市町村が消滅可能性都市なのは知らなかった。確かに私の地元の公民館も何回かイベントで行ったことがあるが、その時もあまり人はいなかったし、何もないときに通ってみると、まったく人がいないことのほうが多い。正直公民館には子どもが使うというイメージがないので、お年寄りの方が使わなくなれば公民館はなくなってしまうだろう。公民館でなくても生涯学習は出来るのではないかと思ったが、知の循環を目標とするならば、公民館のような場所が用意されなければ達成することができない。文化の継承という意味でも公民館が重要な施設であるということが分かった。