関心テーマを読んで 名倉令
星野さん
社会でもどのような学歴を持つかを重視し、何を学んできたかを軽視する風潮は確かに存在すると私も考える。私たちが直に体感できる際たるものとして挙げられるのが、就職活動だろう。足切りと呼ばれる定員の振り落とし行為は、まさに学歴しか見ていない。きっと私たちのように大学に通えなかった人達は、より顕著にこの学歴社会を感じているのだろうと考えると、悪しき風潮だと言わざるを得ない。社会保障制度の一つである生活保護にしても、その受給額自体が少なく、高校に通わせることを考えるとかなり困窮した生活を送ることになってしまう。国が小さな政府としてのあり方を変えない限り、本当の教育の機会の均等は訪れないのではないかと私は考えている。
坪井さん
私はデジタル教科書を導入することで、よりアクティブラーニングが有意義なものになると考えている。坪井さんが後述しているように、今までは似たり寄ったりであったアクティブラーニングの方法自体に幅ができ、様々な方法で生徒たちを能動的に学ばせることができると考えたからだ。坪井さんは反対意見の根拠として動画を見ることに集中することを挙げているが、それは現環境の黒板を見てノートを取りながら、先生の話を聞くことと変わりないと思うので、デジタル教科書を導入したからおこる弊害とは言い難いのではないか。デジタル教科書の利点のひとつに分からない部分を分かるまで、動画で繰り返し見られることが挙げられる。また、個別にデータ集計を行い、その人にあった学習プランを組み立てることも可能だとされている。生徒の理解面を考えるなら現状の学習方法より、効率的なものになるのではないかと考えている。自ら今後の教育環境の変化について、ただ順応するのではなく、疑問点を生み出して考えることは重要なことなので、良い関心テーマだと思った。
磯崎さん
私も不登校だった友人ができ、初めてこの課題に関心をもった一人だ。きっと当事者が家族だったこともあり、興味関心も私とは比較できないものだろう。現状、各クラスに不登校は1人以上存在する。教師になり担任を持つことになれば必ず、この問題に直面することがあるだろう。この問題を考察したかしないかでは、問題に対する解決の手段も違ってくるはずなので、多少範囲が広くなったとしても良いのではないだろうか。何の記事だったか忘れてしまったが、オンライン授業に切り替えた結果、学校に何らかの理由があり来れなかった生徒が、一番授業へのレスポンスが早かったという教師の声を目にしたことがある。学校環境のあり方自体、私たちが生きているうちに変わっていくことが予見される。現状の支援方法を調べる中で、どの支援方法が将来にも活きるかなども考えていくことで、より良い学びに繋がると私は考える。 また細かい指摘になってしまうが、「なので」を書き言葉として文頭で使用することは適切ではないので、違う接続詞や言葉で置き換えることが必要だ。
高橋さん
「先生と子どもの関係は親と子より特別」という高橋さんの指摘は、とても面白いものだと思う。私はあまり思いやりのある教師に出会わなかったのでこのように思う機会に恵まれなかったが、教師と生徒との関係性を考える上で重要となる視点のひとつだろう。集団の中の一人として子どもを見るのではなく、一人ひとりの目線に合わせた態度を意識している点も好感が持てた。教師として子どもを気にするあまり、自分の精神面をすり減らして辞職してしまうといったケースも社会には存在する。このテーマを教師になる前に考えることで、将来的に自分が潰れず、子どもとの距離も保てる欲張りな距離感を掴むための布石となると私は考えた。