平野啓一郎『死刑について』を読む
2022年に刊行された本書を精読した。重い内容である。本書の「あとがき」によると、2019年の大阪弁護士会主催の公演記録に、2021年日弁連主宰のシンポジウムでのコメントを付して全体構成を施したのが本書である、という。
私自身は、もともと平野の作品に以前から注目していた。1998年『日蝕』で文壇デビューした。中世の「魔女狩り」を主題にしたこの作品は、「魔女ではない=人間である」ことの証明の難しさを説いた作品である。2008年の作品『決壊』では、徹底的に被害者の視点から書いている。主題は「人を殺すことは何故いけないか」である。無差別大量殺人が頻繁に発生している日本で、この問いのもつ意味は重い。2018年の作品『ある男』では弁護士が主人公である。作品中で平野は、主人公の弁護士城戸に「国家が、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛らに、現実にあるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。」と、批判はラディカルである。
本書で、平野は、死刑は必要だという心情に寄り添いつつ、「自分の死」「近親者の死」「赤の他人の死」とカテゴリー区分し、死刑存続派が「近親者の死」に視点を当て、死刑廃止論者は「赤の他人の死」を人権論からとらえていると主張する。次に「何故人を殺してはいけないか」という問いに、日本社会は真剣に向き合いきれていない現実を指摘する。その原因として、人権教育に失敗している、と指摘する。平野が死刑に反対する理由は、警察や検察の捜査による冤罪の可能性、自己責任で良いのかという問題提起、人を殺してはいけないという論理と死刑制度との絶対的矛盾、である。平野は、さらに日本文化にまで立ち入って解明している。死刑廃止論支持を、これほどまでに広い角度から論じた類書を私は知らない。