近未来日本の社会の方向性

先日、2024年度の出生者数が発表された。それによると出生数は68万6061人で、前年比4万1227人の減少、初めて70万人を切った。出生率も人口1000に対して5.7で、前年比0.3の減少だという。それに対して死亡者数が2万9282人の増加だから、人口減少は止まるところを知らない。

 私が大学教員で在職中、着任した翌年の1992年には18歳人口が205万人だった。その年度の大学入試は全教室を使用しても各教室は受験生で溢れていた。しかし、その直後から「17年後の2009年には18歳人口は121万人になり大学全入時代が来る」ことが喧伝され、大学関係者は改革に次ぐ改革を余儀なくされてきた。

 今、大学は2040年問題に翻弄されている。すなわちこの年に18歳人口は88万人に、そして先日の発表によれば2042年(2024年の18年後)には68万人になる。どれだけの大学が生き残れるというのか。

 ことここに至っては、大学の存続だけを課題と設定してよいのかという疑問をもつ。日本社会の存続そのものを問題として捉えねばならないのではないか。そのように考える時、人口の過疎化対策も検討せねばなるまい。内田樹氏は「人口の大都市周辺への偏在」を問題にし「都市機能の地方分散化による人口の一極集中の排除」を提案している(『沈む祖国を救うには』)。私も賛成する。

 今こそ、新自由主義的発想による住環境整備ではなく、日本のどこにいても安心して子どもを産み、育て、生活できるという住環境を整備する必要がある。一例を上げる。能登地域の復興が遅れているが、新自由主義的発想からすれば、過疎地域に資源を投資して復興するよりも、そこから離れて都市周辺に移住せよ、という発想になる。

 人間がかろうじて住み生きていける環境を都市周辺にのみ限定するのではなく、それこそ日本中どこでも生活ができる住環境の構築こそが急務である。