「相模原事件とヘイトクライム」第一章を読んだ感想と考え 阿部恵大
私の考えを読んで誤解を招かないように先に述べておくが植松容疑者の起こした相模原事件は到底許されるべきことではないと私は考えている。その上で私が感じたことを述べさせていただきたい。
植松容疑者が起こした相模原事件であるが、その事件の原因は優生思想によるヘイトクライムであるのか少し疑問に感じた。植松容疑者は日本のため、障害者の保護者ために行動に移ったと衆議院議長大島理森宛ての手紙に書いている。確かに植松容疑者は「障害者は不幸な存在」であると考えていて、それは優生思想の考え方に当てはまる。しかし、障害者が優れていないから、障害者が邪魔だから殺害するという考えを先行として行動したのだろうか。あくまで順番の違いなだけではあるが、何かの為に行動するそのうえで優勢思想が働き障害者を殺害したのではないだろうかと私は考えた。例えば、利益を得るために国同士で戦争が起こったとする。その戦争は人を殺すことは悪いことであるという考えを持った人々が参加した戦争であったとしても、お互いに利益のために相手を殺す行為をやめることはないと思う。そこにある考えは人を殺して利益を得るという考えではなく、利益を得るために人を殺すとういう考えなのではないかと思う。利益を得る上でついてきてしまったものであり、人の命と利益を天秤にかけたのではなく、人の命が利益との天秤にかかってしまい、その利益が絶対譲れないものであったために殺してしまったのであったのではないかと思った。つまりあくまで目の前にあるのは利益であり、人の命は付加産的なもので、殺したほうが良いからというよりは植松容疑者の価値観のなかで利益のために障害者を殺害せざるを得なかったからなのではないかと思う。
結局優生思想が関係していることに変わりはなく、ヘイトクライム的であるといえばそうであるが、それでもうまく言葉にはできないが、どうにも単にヘイトクライムだから、優生思想だからとは思えなかった。