「相模原事件とヘイトクライム」第一章コメント 高橋良汰
私は第1章を読んで「加害者の「普遍的正義」」という言葉がとても印象的だった。加害者の植松容疑者にも歪んだ思想と論理でありながらも、衆議院議長の大島理森氏にあてた手紙からも読み取れるように首尾一貫した考え方を持っていた。この一貫した考え方があったからこそ「通り魔殺人」などの他の凶悪な事件とは違い、事件の前と後との人々の考え方に良くも悪くも影響を及ぼすのだ。植松容疑者の一貫した考えや普遍的な思想はもちろん称賛されるべきものではないが、一部の人々の心を掴み称賛するべきだ。という声が出てもおかしくはないと思った。なぜならそれだけ今障害を持つ者、障害を持たない者、またその者たちの近くにいる者たちで意識や思いの違いが大きくあると思うからだ。
現在、身体障害、知的障害、精神障害の各人数は、身体障害者(身体障害児を含む。以下同じ。)436万人、知的障害者(知的障害児を含む。以下同じ。)108万2千人、精神障害者392万4千人となっている。3つの障害共に100万人を優に超えているのがわかる。正直に言うと私は自分で何らかの障害を持っているとは思わないし、周りにも障害を持った人がいるわけでもない。しかしこういうテーマで参考文献を読み、考えていく中で普段生活しているとき障害者を見かけるとじっと見てしまう。それは差別的な目でも軽蔑そるような目でもなく単純にあまり見たことがないからという理由である。私の見る目もいいものではないと思うが、差別や軽蔑の目で見るものもいると思う。そういう目で見るのは健常者といわれる障害を持っていないものだけ。ではどうやって私は差別の目も軽蔑の目も持っていないと示せばいいのだろうか。考えていくほどにどうにもできなくなっていくのはないかと思うばかりだ。
内閣府cabinet office(最終閲覧日2020年4月27日)