「相模原事件とヘイトクラム」第二章コメント 坪井翼
第二章を読み、まず私は、事件の敷地内の体育館で90人の方が生活しており、これを厚労省が容認しているということに驚いた。なぜ45人もの人が死亡、または重軽傷を負った事件現場に今後も定住することを容認できるのであろうか。常識的に考えれば、顔見知りや友人が数多く殺された現場に今後も残りたいと思う方は一人もいないはずである。それにもかかわらず、半数以上の方が現場にとどまらなくてはいけないのが現状である。つまり、間接的被害者の意思よりもが優先されるものがあった、もしくは、間接的被害者の意思が考慮されなかったということになる。どちらにせよ、今回の事件の一連の流れにおいては、健常者と障がい者を区別し、健常者の都合に合わせた社会運営がなされていると考えざるをえない。やはり、日本人の国民感情として本にも書いてあるとおり、「障がい者は邪魔だ。」という意識が一定数存在しているようだこの障がい者に対する国民感情を変えることができない限り、今後もこのような凄惨な事件が起こるだろう。
次に私が考えたことは、この事件がこれだけ大きな社会的問題であるというのに、私は今回のゼミの活動が始まるまでは忘れており、読んでいる最中もどこか過去のもので他人事のように感じてしまっていることである。これは多くの人にも当てはまることではないだろうか。この事件に限らず、多くの出来事を過去のものとして完結させ、自分の中で時効にしてしまっている。この現状を私は打開したい。今は奇しくも、コロナウイルスの影響で時間だけは確保されている。なので、私は、今回の活動を通して、この事件だけでも私の中で古典にならないよう、私なりにこの事件を紐解いていきたい。