『相模原事件とヘイトクライム 第1章』を読んでのコメント 馬場朝日
私は、この事件を初めて知ったとき、よくある無差別な殺人事件だと考えていた。言い方は適切ではないかもしれないが、頭の狂った人が誰でもいいからという理由で次々と人を殺す類の事件だと考えていた。しかし、この本を読み、植松容疑者の犯行にこれほどまでに思惑があり、ただの殺戮事件だと考えていたものが、こんなに考えのある殺戮事件だったということを知り、驚愕した。植松容疑者の優生思想の強い考えは、私は共感することができなかったが、世界中のどこかには共感する人もいるのではないかと感じ、同時に恐怖心も芽生えた。
私は、衆院議長に送った手紙の内容で、障がい者を殺害することがなぜ経済の活性化や第三次世界大戦を未然に防ぐことができるのかが理解できなかった。さらに、障がい者は不幸しか生み出せないというのがとても理解しがたい内容であった。障がい者施設で約4年も勤務していた植松容疑者は一度も障がい者の方たちが人を幸せにした瞬間を目にすることができなかったのかも疑問に思った。植松容疑者が送った手紙の内容や書き方は、衆院議長や首相が納得してくれるだろうと考えて書いているような文章であった。自分の考えは、間違っていないというのを強く訴えている意思が伝わるような手紙であった。犯行後も「障がい者がいなくなればいい」と述べているというところにも考えが一貫していることが読み取れた。
第1章の後半部分で障がいを持つ子どもの親たちの意見を読み、日々、様々な困難などと闘いながら暮らしている中でのこの事件に対しては、怒りや憎しみが多いということが伝わった。この本を読み進めていくにあたって加害者と被害者の両方の立場から考えていきたい。