『相模原事件とヘイトクライム』第一章のコメント 志賀百香
この事件が起きた当時、私は、誰もがなり得る障がい者が対象とされたことに他人事とは思えない恐怖と不安を覚えた。そして、未だに障がい者に対する偏見・差別意識が残っている現実を突きつけられた気がした。この事件の問題は、植松容疑者が持つ優生思想という考え方ではなく、生産性で人の価値を評価する社会にあると考える。程度の差こそあれ、同じ様な障がい者差別事件は起きており、これからも起きる可能性は十分ある。
私は、この事件について考える上で、加害者や被害者の人生を知るだけでなく、すべての人が生き生きとした人生を送ることができる共生社会形成に向けた教育の在り方についても検討していきたい。
ここでは、植松容疑者が衆議院議長に宛てた手紙の内容について考えていく。手紙には、「保護者の疲れきった表情」、「施設で働いている職員の生気が抜けた瞳」、「車いすに一生縛られている気の毒そうな利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にある」といった植松容疑者が施設の中で見てきた人々の姿や事実が書かれている。ここから、植松容疑者の中に生まれた優生思想の考えは、自らの経験と関係していることが分かる。また、殺害の対象が重度重複障がい者であることから、植松容疑者が重度重複障がい者とのコミュニケーションに困難を抱えていたのではないかとも推測できる。現在、障がい者施設は、人手不足やハードな労働環境が深刻な問題となっており、職員の質の低下も懸念されている。植松容疑者が教員を志望していたことから、障がいに関する知識が不十分であった可能性も考えられる。植松容疑者が施設職員として働くことになった経緯や動機についても調べていく必要があると思った。手紙には、植松容疑者の「障がい者がいなくなればいい」という一貫した考えが述べられているがこの考えに至った論理や思考は分からなかった。また、なぜ被害者匿名報道が許されたのかという疑問も残る。植松容疑者だけでなく、被害者や遺族についても考えていきたい。