『相模原事件とヘイトクライム』第二章に対するコメント 星野凌摩
第二章を読んで、障がい者が一日一日をどのように生き抜いているかということを初めて知った。私は今まで、障がい者が強いられる厳しい現実について学んだり自分で調べたりしていたが、車椅子を自分で押せない身体障がい者を一人で自由に動ける精神障がい者・知的障がい者が支える、反対に彼らは文書など書かれた内容を把握出来ないということで、身体障がい者が彼らを支援するように、相互に日常生活を支えあっているという生き方があることを知った。障がいを抱えた全ての人がそのような生き方をしているとは言えないと思うが、自分の知らない彼らの一面を知ることで、違った見方や考え方を得られると考えている。
本誌内で、藤井さんの「この子はいないことになっている」という言葉について、思うことがある。相模原事件が起きてから、被害者の名前が一向に明らかにされなかったことは、私も違和感を覚えていた。不満交じりのそれを抱いたまま過ごしていた時、相模原事件と対比的ではないかと思う事件が起きた。京都アニメーション放火事件である。この事件も、多くの犠牲者かつ、類を見ない悲惨な事件であった点について、その規模の大きさはどちらも同じようであると考えている。大きく違ったことは、実名報道がされたか否かであると考える。京都アニメーション事件は、実名公表を巡って議論が交わされたこともあったが、結局は犠牲者全員の名前が公表されることとなった。正常な人が被害者の事件と、障がい者が被害者である事件にこのような対応の区別をつけてしまうことで、メディアが障がい者を隠そうとする意思の有無にかかわらず、情報を受け取る側は、「障がい者は普通の人と一線を画しているんだ」と、その境界により明確な隔たりを作ってしまうのではないだろうか。つまり、マスメディアのこの印象操作ともとれる行動は、障がい者差別を助長していると言っても過言ではないと思う。自身も障がいを抱えているという横山さんの「僕の相手は社会全体です。」という言葉が、こういった現状を分析することでより重さを持ったものになると考えた。