『相模原事件とヘイトクライム』第1章のコメント 磯﨑未奈

この相模原事件の内容を初めて知った時、私は植松聖容疑者が自分が襲撃した「津久井やまゆり園」で働いていた事に驚いた。2012年12月から働いていたというが、この時は容疑者に障がい者抹殺を正当化する強い優生思想の考えは無かったと思う。もしこの頃から障がい者抹殺の優生思想があったのなら、障がい者の日常生活や社会生活を支援するこの施設では働いていないと思うからだ。ならば、いつ、何が原因で容疑者が「障がい者を殺そう」と思い立ったのかを突き止めることが重要だろう。
私は、優生思想が優れた生を望む事とするのなら、誰もが持っていて、また社会の状況によって無くなる事は無いと思う。しかし、通常は願望程の低度だったものが、極端になってしまうと差別や偏見に繋がり、命を軽く見た相模原事件の様な事が起こるのではないか。
命を軽く見る事といって、私には思い出すものがあった。例えば、去年、人身事故の現場を乗客がビニールシートの内側にスマートフォンを差し込んで撮影し、SNSにアップした事があった。この事は翌日ニュース番組でも取り上げられ、ネットには「モラルが無くなってしまったのか」といった意見もあった。
このような行動は「殺人をしてはいけない」、「写真を撮ってはいけない」、「モラルが無い」などといった一般的な考えでは片付けられないものがあるように思う。命を軽く見るという事は、私たちのごく身近に存在する。それを防ぐためにも、今一度自分の中にある思想を考え直してみたり、誰かに話す事が重要ではないか。