『相模原事件とヘイトクライム』第2章のコメント 磯﨑未奈
第2章の最後に「優生思想を合理化して、死に導くことが正義であり、社会の進歩だとして、治療ではなくて殺人行為を正当化してきた時代から、私たちの時代はどれだけ進歩しているのでしょうか」とある。この文を読んで、私は殺人行為こそはしていなくても、ほとんど進歩していないのではないかと思った。現在、直接言わなくてもSNSなどのネット上で心無い言葉はよく見られるからだ。
私は日常生活において、障がいの中でも特に知的障がい者、精神障がい者に対する世間の目にはきついものがある様に感じる。自分の属するコミュニティに存在しない容姿、言動をする人には強く当たってしまう。そもそも、生まれてきて何にも影響を受けなければ差別は起こらない。だが、家族や友達、先生など自分の身の回りの影響力がある人の何気ない言葉を受け、差別的な発想が生まれてしまうのではないかと思う。また、これは世代を超えて継がれてしまう。
横山晃久さんは、本の中で身体障がい者の運動は60年、精神障がい者の運動はまだ20年と語っている。確かに盲導犬の活動やバリアフリーなど身体障がい者を主とした運動はよく目にする。しかし、精神障がいや知的障がいの運動と言って思いつくものは特に無い。ここにも問題はあるだろう。普段の生活をしている中で、健常者と呼ばれる私たちは障がいをもった方々と接する機会はほとんど無い。なので、情報はとても重要な役割をもち、それによって作り上げた固定観念で差別をしたりする。私は精神障がいや身体障がいに関する情報が日常に入り込んでくれば、状況は変わると思う。ただ、これには支援者が付き物だ。看守の様な施設の職員、自分の子どもを隠したがる家族ではなく、障がい者の実情を理解できる支援者が必要だ。様々な媒体を用いて社会全体で理解を広め、共生をしていくことが大切である。