『相模原事件とヘイトクライム』第2章コメント 名倉 令
横山晃久氏の発言は、社会の中で想像以上に優生思想が浸透しているのかもしれないという、一抹の不安を抱かせるものであった。被害者が匿名報道だったとはいえ、凄惨な事件が起きた後は多少なりとも、障がい者を助け合おうとする気持ちが生まれるものだと思っていた。しかし現実は、健常者の心に巣くう内なる優生思想を、植松被告の行動が肯定してしまう形になってしまったといっても過言ではないように思える。
さらに私を驚愕させたのは、子どもの死に安心を覚えてしまうまで、疲弊しきった親が一定数存在することだ。決して親の弱さを責めているのではない。「親の意識をそうさせたのは、日本全体の意識」。この引用箇所にあるように親の意識さえ変えてしまうほど、障がい者、またその家族に対して冷酷な世界が広がっていることに驚きを隠せない。私たちはこの問題に対して、当事者意識が欠けていると思う。だからこそ辛辣な発言をし、冷たい態度であしらい、何かおきたら自己責任だ、親の責任だと責任転嫁をする。この無責任な考えが蔓延していたら、親の意識が変容していくことも、必然の結果なのかもしれないと深く考えさせられた。田舎のような閉鎖的コミュニティでは、この意識がより肌に感じられてしまうのだろうか。また私たちが障がい者ばかりではなく、家族の抱える悩みにも焦点を向けられなければ、社会への理解は深まることはなく、障がい者とその家族が世間から孤立していってしまうことを防ぐのは難しいのではないかと考えた。