『相模原事件とヘイトクライム』第2章コメント 馬場朝日

第2章で語られた相模原事件の問題については、共感できる部分とそうではない部分があった。それは、被害者たちの名前が匿名であった点についてだ。匿名は被害者の保護者が希望したものであり、障がいを持っている子だから匿名を希望したと書かれている。もし、障がいを持っている子だから名前を匿名に希望したとしたら、それは問題である。家族に障がいを持っている子がいるというのを後ろめたいことの現れであると考える。正直、そういう人がいてもおかしくはないだろう。しかし、私は、すべての保護者が障がい者だからという理由で匿名を希望したとは思えない。障がいを持っていても自分の子どもに誇りを持っている人はいるだろう。一度、自分が被害者の保護者だと仮定して考えて欲しい。障がいを持った子でも、持っていなくても、匿名を希望するかは迷うだろう。私は、障がいを持っていない子どもでも匿名を希望する保護者はいるのではないかと考える。だから、この事件の保護者たちは子どもが障がいを持っているから匿名を希望したとは一概には言えないのではないかと考えた。

しかし、そういった理由で匿名希望をした人も中にはいるのであろう。私は、自分の子が障がいを持っているからという理由で匿名を希望した人がいるのであれば、その人は、植松容疑者やヒトラーやヒトラー帝国の医者たちと通ずる考えがあるのではないかと考えた。匿名を希望した人は、少しでも障がいを持った人たちを良いと思わない考えがあるのではないだろうか。そういった考えがエスカレートした先に相模原事件やナチスの歴史的虐殺行為があるのではないか。障がいを持った人たちを良いと思わない人は少なからずいるだろう。虐殺行為に至る前に障がいを持った人に対する考えを変えていかなければならない。