ゼミ生諸君のテキスト第一章レポートを読んだコメント

今回の学生諸君のレポートは、全員が自分の読み方とこの事件に対する捉え方を具体的に示しており、とても面白い問題提起だと思った。

渡邉君は、この事件に対する社会の反応から優生思想が多くの人に広がっていると指摘する。坪井君は、自分と異質なものに「障がい者」というレッテル張りをして「迫害の対象とする」傾向を指摘し、それは「目にみえる部分=悪」であるとし、障がい者の内面に寄り添うことが無い状態を批判する。高橋君は、植松容疑者の考え方の一貫性に注目する。確かに、彼は死刑判決を受けても控訴せず相変わらず「自分は間違っていない」と主張している。そして自分のような健常者が差別心はない、と示すにはではどうしたらよいのかと問題提起する。志賀さんは、優生思想と人間の価値を生産性で捉える見方をあえて峻別させ、事件を後者として捉えている。事件被害者を匿名にする報道姿勢・社会のとらえ方も視野に入れ、共生社会形成への教育的課題を提起している。磯崎さんは、植松容疑者が事件の部隊となった「やまゆり園」の職員であったことに注目し、彼の障がい者に対する殺意がどこで生じたかの解明の重要性を提起する。名倉君は、植松容疑者の「普遍的正義」への主張の中に、誰にもにある内容をみようとする。出生前診断を例に、高度に発達した医療技術の中で却って優生思想が蔓延する現実をみる。星野君は「過酷な職場の実態がこうした犯罪の温床になった」とする見方を厳しく批判する。介護職の労働環境問題と植松容疑者者がこうした犯罪を起こした因果関係は簡単に結びつけるべきではないと厳しく指摘する。馬場君は、植松容疑者の主張は、一環しているが、その内容(障がい者の殺害がどうして経済の活性化につながるのか・第三次世界大戦を防ぐことになるのか)について理解できない、しかしそうした主張が一貫していることに注目する。阿部君は、そもそもこの事件が「優生思想によるヘイトクライムなのか」という点で疑問だという。阿部君によれば、「利益を優先させた結果の殺人」であって、「優生思想に基づく障がい者の殺人ではない」のではないかと一般の見方に疑問を提示している。

学生諸君の主張を私なりに簡単に要約してみた。もとより違っていれば批判してほしい。しかし学生諸君が提起した論点を一瞥してもわかるように多様な論点が内在している。ここでそれを整理しながら私の意見を付しておきたい。
①この事件を植松個人の特異な事件ではなく「いつ・誰がおこしてもありうる」という見方はほぼ全員に共通しているようだ。
②だとすれば、磯崎さんのいうように、本来施設職員として障がい者に愛情をもって接することができたのに、なぜ障がい者に対して、敬意ではなく殺意を抱いたのかが当然疑問になる。
③この点、星野君が主張した労働環境問題と犯罪を簡単に結びつけるべきではないという意見は重要だと思う。植松容疑者の生い立ち・人格形成・職場での働き方も含めて事件の背後にあるものが充分見いだせていない。それで死刑が執行されてよいのだろうか。
④この事件の被害者たちが報道された時の匿名性についてである。これは被害者遺族が要望したことだという。そこに社会の障がい者への差別の根深さを読みとることができると思う。
この事件の全貌が明らかになる前に、死刑が執行されたら闇に葬られてしまうであろう。
より全体像を明らかにする作業が求められる。引き続き議論していきたい。

日本語表記で気になった点を二つ指摘する。(1)文末に「感じる」は辞めるべきである。「いかに感じたか」はレポートでは論外で「考えた」にしよう。(2)「障害者」は有害ではないのだから「害」は辞めよう。「障がい者」と表記する癖をつけよう。