相模原事件とヘイトクライム 第三章感想 高橋良汰
今回私は何個か印象に残った言葉があった。1つ目は「正義と割り切っていたのでしょうか。」という言葉だ。自己の考えを持った者であれば自分の正義はしっかり持っているのではないかと私は考えている。正義という目で見てみると恐ろしく思えるのは元東京都知事石原慎太郎氏の発言や茨城県教育委員会長谷川委員の発言である。私はこの2つの発言について知らないのでこれについて言及はしないが、この2人の発言は自己の正義のもとでの言動とは考えにくいのではないか。周りから見て問題視されるようなことでも正義の名の下に働いたことだとしたら自己の正義として筋は通っているかもしれないが、このような突発的な発言に聞こえるようなものはそうとは思えない。2つ目は「やりたくてもできなかった人体実験」である。この言葉が目に入った時驚いた。やりたかったのかと。落ち着いて考えると、学者ならやりたくても世間の目や倫理というものに邪魔をされて禁断とされていることもあるかもしれない。そこをヒトラーが合法化してしまったが故に一歩踏み入れてしまった当時の医療関係者たちは自分たちの正義とは違う興味で暴走してしまったのだと思った。優生思想は世界各国に蓄積され、広がっていた価値観に根ざしたものだったと書かれていた。医療関係者の心の中にもしっかり優生思想は定着していて、しかし保てていた。ある意味乗り越えていたのだと思う。しかしヒトラーが引き金となって暴走した。計画が中止になっても野生化し虐殺し続けられた。
私は学者は興味で、ヒトラーは自己の正義で引き起こしたこの一連の出来事は言い方は変かもしれないが、人間の弱い部分につけ込んだ悪魔のせいにも思えた。現代では多様性の理解というものが広まっているかもしれないが、そもそも人間が弱くなければ自分とは違うもの(多様なもの)をわざわざ理解することなどしなくても受け入れられているのが当たり前という状況になっていると考える。としたとき、今多様性を理解しようとする社会になってきているのなら筆者の言う優生思想をどのように私たちが乗り越えていくのかということも見えてくるのではないかと考えた。