私が関心を持っているテーマについて 星野凌摩

 私が教師を目指そうと思うに至ったのは、やはり今まで指導してくださった先生方の影響が大きい。小中高通じて、私という一個人に対して進路や他愛ない相談を親身になって聞いてくれたことは、救われた場面が多かった。このように子どもに寄り添ってあげられる存在に憧れた事が一つで、もう一つのきっかけは単なる興味である。小学校から高校までで多くの担任と、教科ごとの先生を合わせて多くの先生の下で学校生活を送ってきた。学年を重ねていく度に、違った性格や教え方、面白さを持った先生に出会って、「先生は面白いな」と純粋に思い、もっと知りたいと感じるようになった事がきっかけでもある。こうして、教育の事をしっかり知ろうと考えて、教育学科に入った。
 私は、大学に入ってから教育の様々な側面を学んできた。その中で疑問を抱いている事は少しずつ浮き足立ち始めた。それは、学歴社会についてである。今日の就職活動において、大卒で無ければ選択肢が狭まる、頭の良い大学を出ている人程良い仕事に就くというような風潮が強まっているように考えられる。私はこの学歴社会が、子どもに余計な問題を抱えさせていると考える。まず、高等学校と大学が半義務教育化していると思われる点である。先に述べたように、現代は進学すればする程、就職の選択肢が増える世の中である。国民は、日本国憲法第26条第2項によって、保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負うことになっている。また、学校教育法第16条の「九年の普通教育」という表記と第17条の説明から、義務教育は小学校・中学生の9年間である事が分かる。つまり、それ以降は各々の自由であり、自ら選択していくものであると考えられる。しかし、学歴社会は大学までを受けることが必須であるかのようにさせてしまい、高等学校と大学までの教育も強いる事になり、学生の立場として「学生でいなければならない」という考えが強まる恐れがある。そしてこの風潮が、学生の将来の多様さを阻害してしまう壁になってしまうと考える。加えて、学歴を重視することは、子どもがこれまで学んできた学習内容を軽視しているのではないだろうか。
 学歴社会に関わると考えられる事として、この学歴社会の強まりと学校へ通えない子どもをもつ家庭への社会の対応が乖離していると思われる点がある。年々、ひとり親家庭の世帯や非正規雇用・パートの割合が増加傾向にあることを、これまでの大学での講義で学んできた。したがって、家庭のやむを得ない事情のために、学校を中退、又はそもそも通えない子どもが少なくない事も学んだ。これは、理不尽な部分が大きいと考える。良い学校、良い大学へ通うには、本人の努力に依るところがある事は否めないため、そうした意味では学歴社会を真っ向から否定する事は出来ないと考えられる。しかし、前提として教育の機会の均等がもたらされていなければ、スタート位置にそもそも立てない子どもがいる。それでは、その家庭にとってこの社会は理不尽でしかないだろう。こうした観点などを深く探りながら、「学歴社会は子どもの教育にどのように関与しているのか」を明らかにしていきたい。