「相模原事件とヘイトクラム」第一章のコメント 坪井翼
第一章を読んだ感想として、私は今回のような事件は今後も起こりうるものであると感じた。なぜなら、今の社会では、障がい者にはある種のレッテルが少なからず存在しているからである。日本では周囲に溶け込み、集団の一部であることを良しとする傾向がある。なので、周囲から逸脱しているものは迫害の対象になりやすい。私はホームセンターでレジのアルバイトをしているが、障がいを持った人が来ると、周りの人は少し距離を置こうと行動するのを何回か見ている。この障がい者は害を生むという考え方が国民全体で改められない限り、今回のような事件は起きると思われる。
では、なぜこのようなレッテルが今も存在し続けているのだろうか。私の意見としては、この考え方が残る理由は、障がい者について表面的なことしか知らず、目に見える悪い部分しか切り取っていないからであると考える。確かに、周りに障がいを持った人がいない人なら、メディアなど、断片的な情報しか提示しないものでしか知る機会はないかもしれない。しかし、障がい者にもいろいろな方がおり、いろいろな工夫や努力をして生きている。立場を少し俯瞰して考えてみればわかることである。少し、ほかのところが違うだけで、同じ人間であるということがもう少し社会全体に理解されるようになれば、この問題も改善されると思われる。
しかし、植松容疑者はやまゆり園で実際に働いている、障がい者についてのスペシャリストである。それなのにも関わらず、障がい者を社会に必要ないものと断定し、いつも一緒にいた多くの方を殺してしまう行為に走ってしまった。この心理を私は理解できない。